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河村るみ 個展「 介 – 生と死のあいだ」

アーティスト河村るみさんの個展「 介 – 生と死のあいだ」(名古屋市美術館 常設企画展 ポジション2017) は、作家自身が母親を介護したことの体験が広がっていた。
よく、”実際の体験をもとに美術作品をつくる”と書くことがあるが、ここでは抵抗がある。

 

実際の体験を美術作品にすること、絵を描く、ビデオを撮る、身体の動きで伝える、文章にする、それについて話す。方法だけ挙げれば、これらが行われている展示だった。

美術作品にするということ、実際の体験からの違いが必ず起こる。だからこそ表現であり、鑑賞者は共有し、語ることができる。

介護を行っていた部屋を定点カメラで撮影した映像作品「明るい部屋」は、その部屋そのものではない。誰もいないベッドに布団がめくれている。動かない画面のなかで扇風機だけが回っていたが、その風を受けることはできない。実際に部屋にあがったならばと想像する。

その映像と向き合うように、「眼差しを見つめて – 手のひらの上に置いた氷がとけてゆくのを見つめる.」が行われていた。
この作品は毎日、夕方四時に 15分ずつ 河村さん自身が壁の前で、手のひらの上に置いた氷がとけてゆくのを見つめる、その姿を定点カメラで撮影し、翌日の行為のときに上から昨日の映像を投射する、それを重ねていく。
昨日の私と、今日の私、そして明日の私が想像される。
鑑賞者がビデオカメラに映らないように、床に敷かれたテープの外から作品を見る。氷が溶けることにつきそう距離は「明るい部屋」と似ている。氷はおそらく手のひらの上にあるのだが、見えない。でも、見る。見ることに懸ける時間だ。


著者は、河村さんが以前に行っていた、作家自身が舐めて、とけだした金平糖を並べていく作品を思い出していた。

金平糖は近くで凝視できた。光を受けて金色に輝いていた。

氷は遠く、あるのだと信じるものだった。

2017年10月、河村るみさんは、名前を 松田るみ に変えると宣言していた。
みのかも文化の森での 個展「When I am laid in earth -私が大地に横たわるとき-」のアーティストトークを告知する Facebook の文章の中に書いてある。河村るみという名前での活動はこの個展が最後になるとのことで、

“「ラスト河村るみという事で、私は私を終わらせるのです。(中学生みたいな事書いている自覚はあります。大丈夫です。)」原文ママ “

気軽に書いてあるが、本気であろう。ご結婚をされることでの改姓ではあるが、人によっては仕事上での名前となるアーティストネームとして苗字を変えない場合があるから、意外だという外野の声も聞く。

注目すべきなのは「私は私を終わらせる」というところ。
結婚によって名字が変わるのではなく、自ら変えているのだ。
名字を変えないという判断が自立した選択であるなら、同じ宣言であった。

るみさんの作品は常に、私を終わらせ、生んでいくという脱皮だったのではないか。
脱いだ皮は捨てず、とけるまで重ねられていくだろう。その前に私はいる。

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村田 仁
詩人。 1979年 三重県出身。 朗読、展示、教室、詩を行う。 http://jinmurata.jpn.org
村田 仁

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