2年前の2017年1月より2月12日開催された、
河村るみ ~介(かい)~生と死のあいだ「現在のところ最終報告」になります。
八方塞になり出口がないと思っていても、
ほとんどの場合、実は出口が入り口にあることは大半である。
しかし、そのあいだの過程で出口を探すこと、
あるいは、実際もがくこと自体が重要であり、出口自体は結果として付いてくるのでさほど重要ではない。
結果として出口化されるわけで、
期限、工程ほか付随してくるものを区切ることもまた出口としている場合がある。
出口として解決される必要はない。元々、問題がないのであるから、何も解決されなくてよい。
本人には未完であっても、他者にとっては完成されている場合も多く含み、
どの時点で、
分域、区域、領域などの設定を仕切る人のみが必要であり、
やはり、解決を誰かが望まない限り問題は起きておらず発生することはない。
現在、名古屋市美術館で、特別展示で使用された展示室は、岩田稔の写真を展示している。
しかし、私の記憶のなかでは、やはり、あの展示は存在している。
なので、無いようで在るが無いようで在るようで無い。が、やはり存在している。
実際に、物質上はないが時間軸として、
過去記憶として場所、観た人たちへの消せない過去記憶においては、存続されているので、
一概に展示物が消失していると現在の物体存在がないからといって
あらゆる存在の可能性を否定することはできない。
河村るみの母も同じく、存在はしていないが、それは過去記憶においてのみであり、
現在記憶のなかで存在に関しての継続は確かにしている。
展示室には、母親の写真はなく、録音された肉声もなかったのだが。
展示作品として最後に在た場所の動画、何気ない日常の会話、
母をモチーフにした一枚壁のような数百に及ぶイメージのドローイング、
母から産まれてきた立体インスタレーションとしての
娘「河村るみ」の氷を解かす行為は何を示唆していたのかを、
2年後のである現在に落とし込むと思案することでもなく決定事項が結実されていることがわかる。
すなわち、娘である河村るみが、
実の娘として、彼女自身による記憶としてのモチーフとして「母」を存在させていた。
観客は総ての展示物を通じてこれらの母のモチーフを追体験することによって、
娘視点からの母親像に触れさせる行為で実体験化を介してつなげさせていたことで、
展示室での自身としても他者としても、
与えていた印象をすべて帰結させ娘から母親への記憶媒体に侵入または、没入することである。
その落とし込む方法に関して総てに興味を憶えたので、最終としてここに記述する。
もう河村るみ自身は、実体こそ同一人物であるが、戸籍上「松田るみ」になっており、
あらゆるものは必然偶然、あるいは完全偶然のなかに漂っているものである。
また、この展示は、
母親への展示としては決着しているが、あらゆる総てにおいて完結されているとはいえない。
なぜなら、また、松田るみから生まれた者がある可能性、
もしくは、思想として継承する者が二次的に、
死後の松田るみを介して再創造した際にまた付け足される可能性があるからである。
今回の母親を題材とした展示に加え「松田るみ」をさらに他者が展示される場合を
将来に付け加えられた展示がないとは否定できないからである。
(完、または続く)
Art Media Room最後の展示として
現在、「さよならRoom」展が開催されています。観覧は無料になります。ぜひご観覧ください。
2/14ー17 2/21-24
「さよならRoom」 13:00-19:00
名古屋市中区錦2丁目11-13 長者町TRANSIT BUILDING 4A
同会場にて、
3/7(木)-10(日)
前川宗睦 展示 13:00-18:00
3/14(木)-17(日)
浅井雅弘 個展「そこにある」13:00ー19:00
3/21(木)-3/24(日)
伊藤仁美 展覧会 13:00-18:00
さよならROOMリレー展示がありますので、お見逃しなく。
河村るみ、現、松田るみの活動は、
「雨ニモマケズ」SINGING IN THE RAIN
マツダホーム(松田直樹、松田るみ)他、
2019.3.1.(金)-24(日) 11:00-19:00
会場:R16Studio+BankART Station 入場無料
横浜市西区みなとみらい5-1「新高島駅」地下1Fにて展示がありますので、
こちらより、ぜひご確認ください。
http://bankart1929.com/archives/2505
AMR、各HP、SNSなどでご確認ください。