会期が残り短くなってますが、なぜか急に感想を残しておくべき展示な気がしてきて大急ぎで投稿します。
時短のため(いつものパターンですが)以前のTWを再構成して載せます。
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会場には白いシャツに絵が貼りついてずらっと並んでいる。
奥にはそれを着て、雑踏や夜の人気のない道端に立ち尽くす作家の姿の映像が流れている。
そのディスプレイと背中合わせにもう一つディスプレイが置かれ、日付と文字だけのニュースが映されている。
ニュースは壁の近くに置かれているため直接ではなく鏡越しにしか覗くことはできない。
絵が貼りついたと書いたが、正確には貼りついているのではなく、シャツの内側に入れた木枠に背中側の生地をキャンバスのように張って、その上に描かれたものだ。
つまり「絵」と「シャツ」は一体化して、木枠からはみ出した全体が「シャツ型絵画」となっている。
こうした形態は以前から制作されていたが、描かれていたのは元のシャツの生地の目が拡大されたものだった。
そこでは支持体という絵画の形式が問題にされていたように思う。
モノクロである点は同じだが、今回描かれているのは「顔」である。
いや、実際には板や球や角柱が組み合わされ、なんとなく目鼻や口にみえて顔っぽい物体に過ぎない。いかにも顔らしいものから、これが目でこれが鼻かなぁといったものまで様々な「顔」が並ぶ。
顔らしきものは全て斜めを向いており、こちらと目が合うことはない。(そもそも目玉はないのだが)
しかし正面を向いていたらなんとなくこちらが目をそらしてしまいそうな気がする。 人物の顔というのはそれだけ圧が強い。
映像の中の男はずっと背中を見せたまま立ち尽くしているので顔は見えない。そのせいか描かれた顔(?)が心を覗かせているように思えてくる。
人ごみの中で身じろぎもせず立ち続ける男は超然としてみえるが、時に孤独も感じさせる
背中の顔からふと人恋しさがこぼれ出る。シャツに現れた顔は自画像ではないだろうか?
などと考えていて、あることに気が付いた。
人と目を合わせるのが苦手で、他人に無関心な素振りを見せながら実はさみしくて仕方がない。どうも素直になることができない。
それはまさに自分自身の事ではないか!
冷静に眺めれば、それは顔ではなく丸や四角の寄せ集めなのだ。そこに顔を見るとき投影されるのは自分自身になるのだろう。
いや、自分は少なくともそうなってしまう。
壁の鏡は(多分)別の意味があったと思うのだが、自分には背中の矩形と結びついてしまった。
目は口ほどにものを言う 、
ではないが、背中は顔ほどにものを言う…のかもしれない。
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TWもしていますが、シャツの背中に木枠を張って(実際は逆なのだと思いますが)着る作品はこれまでも制作されていました。
そこでは絵画形式が問われているようです。
今回の展示でも「顔」は背中の上の方だったり下の方だったりとまちまちで、高さが揃っていません。また水平も取れていないようです。
これはシャツをハンガーにかけたようにして肩の高さをそろえているためで、ここでも「全体で絵画」という考えは一貫しています。
一方で描かれるモチーフは映像とともにコロナ下での人と人との関わりを思わせます。鏡に映されるニュースは直接向き合うことができないもどかしさを感じさせます。
身の回りの環境や社会変化を色濃く反映しているともいえるでしょう。
他方でTWの自分ように、きわめて個人的な印象を受けることもあるように思います。
前川さんにははっきりした意図があることと思いますが、それをどう受け取るかは観る側に委ねられています。また、人それぞれに感じ方も違うことと思います。
そういった様々な見方を許すのが作品の豊かさではないかと考えています。その点で今回の展示は、美術的・社会的・個人的(もっとあるかもしれませんが)と多様な切り口で受け取ることができるような気がします。
コロナが昔話になった時にこれらの作品はどのように観えるでしょうか?
そんな日々が一日もはやく訪れることを願いつつ、感想を締めたいと思います。
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◎展示情報
【展覧会名】
前川宗睦 個展 「stand alone」
【会場】
エビスアートラボ
【開催日時】
2021年10月1日(金) – 10月31日(日)