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「ICON3」 前橋瞳作品を少しはレビューらしく

前橋瞳さんが参加されたグループ展「ICON3」について先日こちらに載せた文章は、ネタバレを避けつつも宣伝したいという下心のせいで内容をぼやかした中途半端なものだったので、お詫びも兼ねて改めて作品について書いておこうと思います。

といいつつ、海牛目の主な活動場所はツイッターなのでまたもやTWを再構成しての掲載です。(スミマセン)
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前橋作品を初めて観た時のことは明確には思い出せないのだが、何かのグループ展だったと記憶している。
さほど間が空くことなく県芸サテライトギャラリーで個展が開かれた折に足を向けたのも、グループ展の作品が気になったからだと思う。

サテライトGでの展示は大作が並び、圧倒するインパクトがあった。
それは作品の大きさよりも、やはり写真の中の異様に目の大きな女の子の存在に強烈な違和感を覚えたからだった。

ちょっとおさらいになるのだが、このころの前橋作品の多くは「女性の日常の何気ない光景」を切り取った写真であった。
ただそこにたたずむ女の子の目の極端な大きさと情景の何気なさとの対比によって、写真は奇妙な空気を醸し出していた。
この時期の作品群では、女の子(達)は全くカメラを意識していないか、逆に撮られることを十分に意識して外見を装っているように見受けられ、そこからその子の感情など内面を伺うことは難しく、加工された顔は内面を隠す仮面のような役割にも感じられた。

変化を感じたのは「阿波紙と版表現展」に出された、やや大きめの作品である。
画面一杯にクローズアップされた女の子の顔はどこか思いつめたような表情で、口をきゅっと結んで真っ直ぐこちらを見据える様子は、堰き止められない感情があふれ出ていた。
その表情は観るものを拒否し自分を守るようにも、一方でこちらに助けを求めているようにも感じられた。
その大きな目が観る者の心によりいっそう強く訴えかけてくる。作品を前にして、自分の心まで苦しくなってしまった。

その次に印象に残った作品は、エビスアートラボのグループ展で発表された小品だが、そこでのは女の子はこちらをきっと見据えて手にはカメラを持っている。そのまなざしと同じようにレンズもこちらを向けられている。
作品を観るとき鑑賞者は画面の側から「観られて」いることを意識させられる。観る/観られるの関係の逆転に加え、撮る/撮られるの反転も想起させられる。
だがそうした観念的な問題以上に、カメラを向けられた時に感じる緊張がなにより重要に思われる。

以前の日常の風景を切り取った作品を前にしたときには、こちらは女の子やその周囲といった「対象」を落ち着いて「観察」することが出来た。
女の子の世界は画面の向こう側にしかなく、外側にいる自分は安全な場所から眺めることが出来るのだ。
それがこちらを射抜く視線に加えカメラを向けられた途端、外側にいるとわかっていてもたじろいでしまう。
良く見ればカメラのペンタ部のロゴは反転しており、鏡に向かって自写像(?)を撮ろうとしている場面ときづくのだが、動揺した事実は消せない。

鏡に向かっているとしたら女の子のまなざしは自身に向けられていることになるのだが、作品を前にするとどうしてもこちらを注視されている様でいつまでたっても居心地が悪かった。
この作品では観ている側に働きかける要素がより強く感じられた。
次の記憶はアートラボあいちでのskyoverⅠである。(もしかしたら前記作品と前後しているかもしれない)
大津橋会場は修了展の大作が展示(作家の本意ではなかったとのこと)されたが、印象に残ったのは長者町会場の小品であった。

その小品は、外観としては三つの画面をつなげて並べられたような形で、左側にはこれまでの様に目を大きく加工された女の子の顔が正面を向いて写っている。
右側の画面もほぼ同じ大きさで女の子の顔が写されているが、ぼやけてはっきりとは判らない。はっきりとはわからないが、特別に目を大きくしたり形を整えたりといった加工はなされていないように見える。

前橋作品は元々が、写真が捉える「客観的」な世界と自己の世界との「差」を埋めたものとして始まった。その差は自身の姿に最も顕著に現れていた。
自身は写真に捉えられた顔よりも、作品のように目の大きな顔が「自然」に感じられる。それが不自然に見られるところに、自他の「自然」の違いとその不思議をみていた。
アートラボあいちの小品における左右の顔の対比は、今一度原点を確かめるものだったのかもしれない。

左右に自他の顔を配した中央の画面は、同じサイズの鏡であった。
作家にとっては自他の差(特に外からの視線)を最も頻繁に意識させられるものである鏡だが、アートラボあいちの会場の鏡の中に居たのはくたびれた顔のオッサンであった。
当然それは鏡に映った自分の顔なのだが、唐突に突きつけられると唖然としてしまう。
「自分はこんなにみすぼらしかったか・・・」
頭では理解していたつもりでも、やはり自分の像は内において贔屓目に作られていたようだ。
上記の感想(というか感慨)はもしかしたら自分だけだったかもしれないが、
このときの前橋作品は、自身の制作に関して内省的でありながら、用いられた鏡によって観客に対しては攻撃的に働くものであったように思う。

結果的に観る側へのつまり画面の外側への働きかけは、以前に述べた感情を伴う視線やカメラのレンズ以上に強いものであった。
と同時に画面の内に外側が取り込まれ、作品世界はその内外両方で広がりを持ったように感じられた。

その次のエビスアートラボでの個展でも外側への意識は感じられたが、観る側を動揺させるというよりは、内側に誘うような作品が多く見られた。
境界を越境する意図は感じられたが、せっぱつまった緊張感のようなものはやや希薄だったように思う。

ここでようやくマエマス画廊でのグループ展「ICON3」にたどり着くのだが、この時の展示は会場の広さと三人展ということもあり、ほぼ全て小品であった。
加えていくつかの作品は、画像をプリントする支持体の実験という側面が強かった。虹色に反射するフィルムや、木目の粗い木の板の上へのプリントは、それぞれの凹凸と質感によってこれまでとは異なる光景への期待を感じさせるものであった。
そうした支持体の実験の一つになるのだろうか、鏡の表面にプリントされた作品に目が釘付けになった。

大きさは以前アートラボあいちで観た作品の画面一つ分とほぼ同じ位だろうか丁度壁掛けの顔用鏡と見間違うような態なのだが、そこへ横から女の子がひょいと顔を覗かせている。
女の子の目は大きく前橋作品の世界が突如割り込んできている。
そして女の子の顔の奥には会場風景とともに、またしてもくたびれたオッサンの姿がみえる。もちろんそれは鏡に映った自分自身の姿なのだが・・・

作品中の女の子の周りは現実の世界であり、それは作品内の彼女の目を通した(彼女の)外側である。
それと自己イメージ(彼女の内側)が共存して作品は出来上がっている。この構造自体は、実は過去作品も同様だった。
過去作品では、外側の世界はカメラが捕らえた「加工を施されていない」客観的な風景描写であり、
そこに自己イメージにより加工を施された女性像が佇む。一つの画面に女性の外側世界と内側世界が同居している。
過去作との違いは、今回の作品は外側世界がカメラではなく鏡によって作られている点のみとも言える。

しかし、鏡がその場の「外側」を即時に画面に取り込むことによって、作品に写る世界は女の子の内側であると同時に鑑賞者にとっての外側であることが強く印象付けられる。
他人から見れば自分はどう見てもくたびれたオッサンでしかない。作品ではその他人というのが前橋作品の女の子ということになる。
こうして今回の作品は、鑑賞者が自身の外側を作品の内に見せられる破目になった。

過去の作品では女の子の外と内の世界のズレを、傍から安穏と眺めやりのんびり考えを巡らす事もできた。
だが今回の作品と向かい合う時、世界のズレは彼女だけの問題ではなく、鑑賞者自身の事として迫ってくる。
傍観者でいることは許されないのだ。

こちらを見る女の子の表情もかつてとは異なる。明らかに作品を観ている人物を見つめ返している。
ただ、その微妙な様子は感情までは読み取れなかった。この辺りはまだまだ整理が付いていない。
その他いろいろ積み残していることは多いのだが、おそらく前橋作品は今後さらに変化してゆくだろう。

今回の展示は大作こそなかったが、この先を期待させるには十分大きな意義を持っていたように感じた。
引き続き注目してゆきたいと思う。

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改めて書き下しているとどうもおかしく感じられるところも有ったりして、ツイートしたものとは少し違っています。
おそらく考え直すたびに違ってくるでしょう。取りあえず今はこのようだということにします。

女の子の表情について最近は、不思議そうにこちら(自分)を眺めているように感じています。
かつて作品中の女の子を眺めていた自分の表情が、もしかしたらあのようだったかもしれません。
彼女には、自分の頭の中にある「多少イケてる中年男」を見透かされているような気がして、そそくさと立ち去りたくなります。
自分は外と内のイメージのズレを冷静に見つめることは当分出来なさそうです。

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海牛目(かいぎゅうもく) ただの美術愛好家  社畜と家畜の狭間にtwitterを回遊  展示周りも基本狭間のみ 作り手でもなくコレクターでもなく、自他ともに認める「観るだけの人」 体力の無さには自信あり
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